みつばのはれときどききんぎょ
「とにかくうちじゃ飼えないよ、どっかに放してきて」
ひとはに冷たく宣告された私は、紙コップ片手にトボトボと暗い夜道を歩いていた。
歩みに合わせて、チャプチャプと紙コップの中の水が揺れる。中には一匹の金魚。
どーしよ。やっぱりどこかの川か池にでも放すしかないわよね…。
これが犬や猫なら、そのへんでこっそり飼うことも出来るかもしれないけど、
魚はそうも行かないものね。世の中は無情だわ…。
「まったく薄情なんだから…」
ため息半分にそんな恨み節も出てしまう。
…私だって分かってるわよ。うちじゃ飼えないことくらい。
やがて道を照らす家の灯りが途切れて、近所を流れる小川が見えてくる。
あんたとも短い付き合いだったけど、これでお別れね。
「じゃあね…」
捨てるんじゃなくて、解放してあげるだけなんだからね。せいぜい元気でやるのよ。
そう心の中でつぶやいて川に金魚を放そうとした、その矢先。
「あっ」
私は暗がりにたたずむ人影に気付いた。私と同じくらいの背丈の女子…。
じっと無表情で真っ黒な川面を見つめるその横顔。
…なんだ、松岡じゃないの。
「何してんのよ?」
「……」
問い掛けにも反応無し。まあ、いいわ…こんなやつはほっといて…。
「ねえあれ、水死体じゃない!?」
「!?」
「はぁ…はぁ…」
思わず逃げ出しちゃったけど……水死体?
そんな物騒なものがこの平和な上尾の、しかもあんな小川に流れてるわけないじゃないの。
どーせあの松岡のことだもん。ゴミかなんかを見間違えただけでしょ…。
冷静に考えればバカバカしい話だったけど、川に放そうって考えはもうなくなっていた。
水死体はともかくあんまりキレイな川じゃないし、養殖場育ち(たぶん)のこいつには
きっと過酷すぎる環境だわ。
かといって、他に当てがあるわけじゃない。
私みたいな美少女が暗い夜道をいつまでもうろついてるわけにもいかないし…。
ホントどうしようかしら、私の――
「私の金魚…」
そう、私の、金魚。
ぐすっ ぐすっ
玄関先でうずくまって泣いてる、浴衣姿の小さな女の子。
これは…昔の私。
「みっちゃんもきんぎょとるの! もう1かいきんぎょすくいやるの!!」
「もうさんざんやっただろ。いい加減、諦めなさい」
「やだやだ! みっちゃんだけとれないなんて…やだもん!」
そうそう。あの時ふたばとひとはは取れたのに、私だけ取れなかったのよね…。
「こらっ、みつば。いつまでもワガママ言うもんじゃない」
パパがしかめつらで私をにらみつけてくる。
「ぅぅっ」
その迫力にしゅんとして、べそをかく私。
そんな私の頭を柔らかい手つきでなでながら、優しい声が語りかけてきた。
……
「らいしゅう? らいしゅうもおまつりあるの!?」
その言葉を聞いて、幼い私はパアッと顔を輝かせる。
「きんぎょすくいある!? またやってもいい!?」
……
「みっちゃんのきんぎょとれるまでやるからね!」
……
「ぜったい、ぜったいだよ?」
……
「やくそくなんだからね!」
……
「うんっ」
「まったく、お前はみつばには甘いんだからな…」
……
うるんだ涙目でぼやけていたけど、今でもしっかり思い出せるあの笑顔。
それから私は張り切って、おたまですくう練習をしたりもしたっけ…。
けど、その約束は――
あの時、どうしても取りたかった金魚。私の金魚。
どうしてかしらね。
私だけ取れなかったのが悔しかったのと、自分だけのペットが欲しかったのが半分。
まぁ、そんなところね。
その時ふたばたちがすくった金魚もいつしか死んでしまって、住人がいなくなった水槽は
今は物置の奥にしまってある。(一時期ザリガニがお世話になってたけど)
せっかくまた出番が来るかと思ったけど、新しい住人候補もこうして行き場のない流れ者の身。
私が最初チブサを飼うのに気乗りしなかったのも、無意識か女のカンか何かで、
いつかこういう日が来ることを予感していたせいかもしれないわね。
「仕方ない…」
とりあえずパンツ佐藤に返すしかないわね…そうね、元はと言えば、あいつがくれたものなんだし。
あーあ。こんな思いをするくらいなら、最初からもらわなきゃよかったわ…。
あ、ううん。そんなこと言ったら、さすがにあいつに悪いか。
親切でくれたんだしね。
それはそうと…あいつはまだ神社にいるのかしら。
途中ですれ違わなかったから、あのあとすぐに帰ってなきゃまだいるはずよね。
一段一段、息を切らせながら神社の階段を上る。
ふぅ、ふぅ。
と、遠い。頂上が遠いわ…。
だいぶ歩き回ったし、下駄の鼻緒が食い込んで指の股も痛くなってきた。
まったく! このみつば様にこんな苦労までさせて。そのうち恩でも返しに来なさいよね。
ようやく一番上までたどり着いて、ひと息つくと、私は祭拍子で賑わう参道を歩き始めた。
人混みの合間を縫いながら周りをキョロキョロと見回してしていると……あっ、いたいた。
佐藤と千葉、ふたばも一緒にいるわね……って! ちょっと! なによ!
ふたばのやつ、チョコバナナ食べてるじゃないの私にも一口よこしなさいよ…って違う!
そうじゃないでしょ、本題はこっち。
「ちょっと!」
「ん…?」
こちらに気が付いた佐藤の前に、かき氷の紙コップを突き出す。
「コレ、返すわ」
一瞬、は?と怪訝な顔をする佐藤。すぐにその表情はムッとしたものに変わり、
「食いかけなんていらねーよ!」
そう言い捨てて、そそくさと向こうに行ってしまった。
「あっ、違…」
そうじゃなくて…!
呼び止めようとしたけど、聞く耳持たず。なんなのよ、生意気よ。パンツ男のくせに!
人の頼みをいったいなんだと思ってるのよ。
せっかくここまで来たのに、また振り出しに戻っちゃったじゃないの。
はあ…。
なんだかドッと疲れちゃったけど、こいつを放っておくわけにもいかないし…
引き取り手を見つけなくちゃ。私は気を取り直して、来た道を戻った。
祭りの賑わいから離れて、あれこれ考えを巡らせてみる。
引き取ってくれそうな心当たりと言えば…。
杉崎は…ダメね。今はどっかに旅行中だったはずだし。他には…。
うーん、でももう夜遅いし、いったんうちに戻ろうかしら…。
「ん?」
紙コップの中に目を落とした私は、異変に気付いた。
ちょっと? どうしたの!?
金魚が水面に顔を出して、しきりに口をパクパクしてる。すごく苦しそう…。
一瞬、お腹が空いたの、そんなに腹ぺこなの?
…と思ったけど、すぐに間違いに気付いた。そんな、まさか。私じゃないんだから。
く、空気……酸素が足りないのね?
私はとっさに思いついて、ストローで水の中に息を吹き込んだ。
死ぬんじゃないわよ…!
元気出すのよ!!
ブクブクと空気を吹き込んでいると、金魚は水面から離れて、またゆったりと泳ぎ始めた。
よかった…落ち着いたみたい。
しばらくこのまま酸素を補給していれば、大丈夫そうね。
安心したら、私の胸のドキドキも収まってきた。
ふう…もう、焦らせないでよ。
それにしても、まさか魚に人工呼吸することになるなんて思わなかったわ。
あんたの安い命を救うために、こんなに頑張ってるんだから…感謝しなさいよね。
――安い命。
そうね…夜店の金魚すくいで売られてるこいつ1匹の値段なんて、きっとたかが知れてる。
私がいつも5分で食べちゃうポテチとかポッキーよりも安いんじゃないかしら。
世の中には重い命もあれば、こいつみたいに軽い命もあるのかもしれないけど…
でも、そーゆー問題じゃないのよね。
静かな住宅街にカランカランと乾いた下駄の音と、ブクブク水が泡立つ音を響かせながら、
私はなんとなくカンショー的な気分ってやつになっていた。
昔のことを思い出したのと…あとは、浴衣を着ていたせいかも。
浴衣なんて毎年着てるけど、ちょっぴり背伸びしてオトナになったような気分と、
童心に帰った懐かしい気持ちが混じって…センチになっちゃう。不思議な話よね。
えーと…それから私が紙コップの水を飲みこんじゃったり、ノーパン女の一味が現れたり、
色々あったんだけど、メンドーだからはしょるわね。
「長女!」
あっ。
「パンツ!」
ちょうど道の向かいから誰か来たと思ったら、パンツ佐藤のやつだった。
その声を聞いた途端に色めきたつノーパン女の一味。まあこいつらはどーでもいいわ。
それより…ひとはも一緒なの?
どーいうこと?
え…まさか、こいつ。
私を探してたの?
エプロン姿のままボーッと突っ立ってるひとはに目配せすると、コクンとうなずいた。
なによ。いまさら何の用なのよ。
さっきは人の話を全然聞こうとしなかったくせに…。
「三女から聞いたけど、さっき金魚を返そうとしてたのか?」
「ウン…猫いて 飼えないから…」
それだけ答えると、あ、あれ…おかしいな…もう言葉が、出てこない。
喉のあたりが熱くなって、思わずゴクンと息を飲み込む。
な、なんか言わなくちゃ。
そーよ、いつもみたいに憎まれ口のひとつも…。
「そっか…」
佐藤がまじまじと私の顔を見つめてくる。
その気遣うような視線を感じて、私は思わず目を逸らしてうつむいてしまった。
やだ、なんだか胸がじーんとして来ちゃう…。
「うちで飼うよ、まぁ…俺が取ったもんだし」
「……」
ほ、ほら。
よ、よかったわね。
やっとあんたの行き先が決まったわよ。
私の…私の金魚だったのはほんの1時間くらいの間だけだったけど
それでもあんたは私の金魚なんだからね。
変態パンツはこんなやつだけど、他はみんないい人たちだから、きっと大丈夫。
新しい環境でもうまくやっていけるわ。
「ぜ……絶対大事にしてよ!? 死んだら殺すから!!」
ずっと黙ってても変な誤解をされちゃいそうだから、なんとかそれだけ言うと、
私は金魚をノーパン女の腹から紙コップに移した。それを佐藤に突きつける。
これで…これでよかったのよ。
これ以上一緒にいたら、別れが辛くなるから…私はもう行くわね。
名前も付けてあげられなくて、ごめんね。
あと、あと…それから…。
いい? 幸せになるのよ?
絶対、絶対、長生きしなくちゃダメなんだからね!?
じゃあね。さよーなら、私の金魚!!
:
:
「しんちゃん」
「……」
「しんちゃん」
「……」
「パンツ男!」
「はっ!?」
「あ、気が付いた」
「ん、ああ…なんだ、三女か」
「どうしたの? みっちゃんはもう行っちゃったよ」
「そ、そっか。ちょっとボーッとしてた。さっきの長女…あれ、なんだったんだろーな」
「ドラマチックな別れのシーンみたいだったね」
「どうかしたのか? さっきからずっと様子がおかしかったし」
「ああ見えていろいろある年頃なんだよ、みっちゃんも」
「そっか、よく分かんないけどお前んちも大変なんだな…」
「それより、金魚…よかったの?」
「別にいいよ、昔うちでも飼ってたしさ。1匹ずつ名前とかも付けてたんだぜ」
「ふーん、じゃあこの子にも…名前付ける?」
「あ、ああ…そうだな。チクビ、チブサと来て…金魚だろ?」
「うん」
「そしたらやっぱり、きんt…」
「……」
「(ひっ…)わ、悪ぃ…なんでもない。とりあえず神社行って、水もらってくるわ! じゃ、じゃあな!」
「…じゃぁね」
(やれやれ)
(まったく手間の掛かる姉だよ…)
特にオチはありません(;´∀`)
おがちんの胃液まみれになった金魚が生き長らえることを願うばかりです。